インタビュー2 

幼少時代は日本との繋がりが皆無に等しかったガーディナー。いつから日本に関心を持ち出したのでしょうか?聞いてみると、20代で西海岸へ移住したのがきっかけだったとのこと。それと同じ時期に日系カナダ人のコニーが義母として家族の一員に加わった事も、ガーディナーと日本の間の距離がぐっと近くなる転機だった様です。

すみえ:義母のお母さん(コニー)との交流や、その交流を通して日本の存在が身近になっていく出来事など具体的にあったらお聞かせてください。

ガーディナー:ちょうど西海岸に引っ越した時期と同じくらいに、私の父とコニーの間に赤ちゃんが生まれました。コニーとはその時に初めて会いました。

コニーは私の父より若いので収容キャンプを経験していません。父とコニーのディアスポラに対する異なった感情はここからきていると思います。父は相反する感情を抱えているのに対して、コニーは東洋と西洋という二つのアイデンティティーをうまい具合に両立させ生活している様に見えます。これは私の主観にすぎませんが、コニーは日系カナダ人である事を躊躇なく体現している様に思います。コニーは日常会話的な日本語も知っていますし、日本食も作り、お正月もやります。私に漢字辞書をくれたり、私が35歳で日本を初めて訪れたのもコニーのお陰です。

その中でも特に私の日本との繋がりの基盤となっているのが毎年恒例の餅つきです。厳密には臼と杵を使ってついてはいないのですが、新年の餅つきを通して私が日本の祖先や日本の人々と繋がっている事を実感する時です。言葉や故郷が失われても、熱いもち米を手で捏ね丸餅を作るというシンプルな作業はずっと受け継がれてきた、私にとっての餅つきとはそんな存在です。お月見をする時に見上げる空の月のように、そこには今も昔も変わらない時間が流れている。

私とコニーが繋がる事で日系の家族がカナダに増えました。私の父から日本の血を授かった様に、コニーからは日本の文化を授かった感じです。

すみえ:初めて日本を訪れたのは30代でだと言っていましたが、日本は想像していた通りでしたか?その時の体験からその後どんな影響を受けましたか?

ガーディナー:初めての来日は本当に私の夢が叶ったという思いでした。当時、特に日本に対して先入観は無かったのですが、滞在中に痛感したのは、アメリカの学校で学んだ日本語は全く通じなかった事や、使える日本語を喋れるようになるには一定期間日本に住んで勉強をしないと駄目だという事です。あと、予感的中という感じでしたが、日本の人達には私の見た目からは私が日本の血を半分受け継いでいるという事が分かってもらえなかったという事ですね。

初めての訪日を経て、日本にもっと長く滞在したいという気持ちが確実に強くなりました。(と言っても、それから2度目の訪日が叶うまでに20年という歳月を要することになりましたが…。)

なんと綺麗な丸餅。お正月にお餅付きをする風習、今の日本ではどれだけ受け継がれてるのかしら。日本の事を常に意識するガーディナーの方がよっぽど日本の事を熟知してるのでは?なんて思ったりもします。

これからのインタビューでは、ガーディナーのアーティストの側面についても質問してみたいと思います。何に影響を受けたのか、どうしてアートという表現方法に惹かれるのか、今アーティストとして表現しようとしている事は何?などなど、思いつくままに〜

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