Interview 1

2022年の初めにポダルコ正雄さんをインタビューし文章に起こしたものです。

Sumie:こんにちは。今日は宜しくお願いします。最初に自己紹介をお願いできますか。

Masao:こんにちは。まずは、このような機会を頂き、またおいそがしいところ、ビデオ電話を通してのインタビューをアレンジして頂き、ありがとうございます。

ポダルコ正雄と申します。みんなは僕のことをMP(エムピー)と呼びます。生まれも育ちも日本で、石川県の津幡町なんですが、ロシアの家系でポダルコという苗字です。

父のことは何も知りません。母はとても忙しい人で、フルタイムの仕事と2つのパートを掛け持ちしていた時期もあったと思います。そのため、幼い頃からほとんど祖母が面倒を見てくれていました。それから、母は私が8歳の時に亡くなり、後は祖母と一緒に暮らしていました。

S:そうだったんですね。心よりお悔やみ申し上げます。

M:ありがとうございます。でももうずっと昔のことですし、名前についてもよく聞かれるので、話慣れてます。

S:作品を作り始めた理由として、お祖母様から大きな影響を受けているとお聞きしたのですが、それについてお話し頂けますか?

M:“作品”なんてお恥ずかしいですが、ありがとうございます。そうですね、いろんな意味で祖母の影響が大きいです。祖母は、2016年に認知症と診断されて入院しました。トゥレット症のように話すことをコントロールするのが難しくなって、大声で何か叫んだりして、とても混乱してしまっていたんです。でも、医師の診断を受けて、処方してもらった薬を飲むようになり、だんだん落ち着いていきました。そのおかげで家に連れて帰ることが出来たんです。突然何かを言ったりする症状はまだありましたが、大声で叫んだりすることはなくなっていて、落ち着いた感じで妙に細かなことを言っていたんです。話が長くなってしまってすみません。

S:大丈夫ですよ。お祖母様の状態が落ち着いて、何を言っているか分かるようになったとのことですが、病気もよくなったんですか?

M:残念ながら、2017年に他界するまで認知症がよくなることはありませんでした。でも、薬のおかげでかなり落ち着いたので、自宅の自分の部屋を祖母の隣に移して、常にそばにいられるようにして、一緒に生活していました。認知症で年配の祖母を世話する毎日の繰り返しは楽しいとはなかなか言いにくくて、ふと思いついて祖母のつぶやきをメモし始めたんです。医師に見せれば何か役に立つかもと思ったのと、自分の正気を保つためもあったと思います。そして、さっきもお話したんですが、その内容が妙に詳細ではっきりしていたので、面白くなって、祖母のつぶやきをずっとメモし続けました。

S:つぶやきですか?どんな内容だったんですか?

M:そうですね。すみません、説明していませんでした。祖母の話すことは突然聞こえないくらいボソボソとしたつぶやきになり、薬を飲み始める前とは正反対になりました。医師に相談すると、年齢と薬のせいだと言われました。私は祖母のつぶやきを“ばあちゃんのもごもご”と名付けました。最初は、本当に何を言っているのか分からなかったので。名前をつけて呼ぶことで笑い話にしようとしていたんだと思います。直ぐに慣れて聞き取れるようになったんですが。

S:お祖母様が本当のことを言っていると気づかれたのはいつだったんですか?

M:幸い、割と早くに気づきました。きっかけは医師にメモを見せたことでした。医師からメモした内容を調べてみたらと言われました。祖母の認知症のタイプでは、意識の深いところに隠れている記憶が口をついて出ることがあるし、認知症を発症する前に頭がよかったなら、事実が含まれているかもしれないと。薬のおかげで記憶に集中して落ち着くことができて、話の内容もクリアになってきているかもと。その診察の後、“もごもご”と呼ぶのをやめました。

S:素敵なお話ですよね。当時、そのことが分かってとても嬉しかったんじゃないですか?お祖母様は病気を打ち破って、どうにかあなたとコミュニケーションを取ろうとしていると思えたんじゃないですか?このことから作品を作られようと思ったんですか?

M:そうですね。とても嬉しかったです。それに、もっと勉強したいと思いました。学生時代はあまりいいものではありませんでした。家の状況がありましたし、普通の学生生活だったとは言えないと思います。それで、祖母がああいう状態でありながら事実を沢山吐き出してくれるなら、少なくともメモをとるとか内容を気に掛けるとか、努力すべきだと思ったんです。ロシアにこういうことわざがあるんです。“Vek zhivi, vek uchis”「一世紀生きて、一世紀学ぶ」という意味です。もう一世紀には遅いかもしれませんが、学ぶことは何とかできるのではないかと。

でも、作品、というと大袈裟なんですが、制作に関して言えば、始めたのはそれから更に4年が経ってからでした。

… to be continued.

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