インタビュー6

最後のインタビュー(4月)からかれこれ半年が経とうとしている。気がついたら。。という感じで、とにかくあっという間に時間が流れる。

ガーディナーも今はシカゴに戻り、9月からの新学期のクラスに追われる毎日らしい。

去年、2020年の6月から始まった一年ちょっとのサバティカル。ガーディナーにとってはアーティストというもう1人の自分とじっくり向き合う為の1年。私にとっても、アーテイストと一定期間対話をし続ける事で、同じ時間を疑似体験させてもらっているような、そしてその体験を通して自分と対話をするという、とても貴重な体験をさせてもらった。ガーディナーにこの一年を振り返って今思う事を聞いてみた。


すみえ:サバティカルの最初と途中と終わった今、振り返って、どんな一年になりましたか?思っていた通りでしたか?人生観が変わったりしましたか?サバティカルを通して新しい発見はありましたか?

ガーディナー:いい質問ですね。どうやって答えようかなぁと考えながら色んな事が頭に思い浮かびます。

制作活動を通して、そして様々な人たちとの出会いを通して、私の人生が計り知れないほどの変化を遂げました。これまでの教師の私には戻れないと思う。ある意味では、教師とは何かと常に語っていた父の言葉をより理解できた気がします。

“教えることは何もない。各々が先生であり、知るべきことの全ては自分で見つけなければならない。”

この意味に関しては他の機会にもっと掘り下げて話しましょうか。質問の答えとして興味深いテーマにはなるけれど、明確に伝えるのが難しい答えでもあります。その代わりの答えとしてあるエピソードを共有しますね。

この一年の出来事を整理する意味でも、これまで撮り貯めた写真のアルバムに立ち戻ってみます。質問の答えを考えていて、今年の春、私の中でサバティカルの形が「Out-and-backの旅」として具体化する瞬間を思い起こしました。驚くなかれ、外への旅(out)から帰路へ向かう段階(back)に差し掛かった時にそれがはっきり見えたの。

「今は4月中旬、トパーズとミニドーカの2つのロケーションで「サイレンス(Tar Paper Totum)」の制作をする為、トパーズから次のミニドーカへ向かう途中。Robert Smithsonの作品「Spira Jetty」を見るために寄り道をすることにした。(毎年、美術史の授業で学生にこの作品を教えているので、実際に見ることで講義の信憑性を高めたいと思う。)

Spiral Jettyは結構な僻地に位置しているけれど、他の人たちが訪れる前の早朝に到着することが出来る。着いた時には他に2人のみ。今年は干潮でとても乾燥している。Great Salt Lakeの水が桟橋よりもはるかに引いている。海岸には砂と大きな黒い岩があり、黄色い花がいくつか咲いている。干潮時には塩分で砂が固まり、湖底の表面には厚い地殻が形成される。踏むとパリパリと光る。 塩がさらに濃くなっている水辺へと歩き出す。ところどころにまるで氷砂糖のように結晶が積み重なっている。水際からSpiral Jettyを振り返る。まるで旧友に会ったような気分になる。ついにこの地に足を運んだ、さて、何をしようかなぁと考える。 

毎年、学生たちに、螺旋は普遍的なシンボルであり、Smithsonの螺旋状の桟橋に沿って歩くことは、思索的、あるいは精神的行為として経験することができることを伝えています。

海岸からスタートして中心に向かっていく。随分と時間がかかる!でも弧がきつくなるにつれて時間の進みも早く感じられる。思った以上に早く中心に辿り着いてしまう。この時、私のサバティカルの折り返し地点にきたんだと心が固まる。

そろそろ帰路への仕度をしよう。まだまだやる事は山積みだけれど、来た道を、思考を戻し始める準備をしよう。

海岸に戻る螺旋状の道を歩き始めると、砂利の上を走るタイヤの音が聞こえてきた。3人の若者と犬が降りる。彼らの声が静寂を破った。彼らはビーチに向かって歩き、海を指差して笑い、自撮りをしている。犬は彼らの前を走り、そこここの匂いを嗅ぎ、Spiral Jettyに立ち寄っておしっこをする。きっとSmithsonが見たら笑うだろうなぁ。私は海岸に向かって歩く、スパイラルが曲がるたびに変化する景色を眺めながら。」

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